くもんをやめるタイミング?!勉強の動機付けって?

あまり子供のネタは書かないようにしてましたが、めずらしく書きます。
検索していると、結構悩んでいる方多いんですね。
私は小学校5年で辞めたような…。学習の習慣づけですよね。公文って。

いまだに学習の習慣づけができないだけではなく、うちの子はルーティン作業がとても苦手です。(ま、これは私もですが)
学習習慣もルーティン作業に入ってしまえば楽ですが、これができるようになるのって、かなり至難の業。私の場合、学習習慣ができるようになったのは、家庭教師の先生のおかげでした。
(まったく公文とは関係ないと思いますが!!!www)
このまま公文を辞めると、たぶん、YouTubeやゲーム等などの誘いに負けて、知識も偏ったものになってしまうのが怖い。
今、算数に関しては私の親友に家庭教師のように付き添ってもらい、モチベをアップさせてもらいながら学習を進めています。

くもんをやめるタイミングを調べてみるとレベルFになったとき(6年生程度の学習内容)や、中学校に入るときに辞める人が多いとか。

中学に入ったときに、もしも学習習慣が身についていなければ、かなり苦労するだろうし、3年後(今の時代では、約2年と考えたほうがいい)に高校受験も控える。そう考えて逆算していくと、学習習慣づけは、3年生~4年生ぐらいまでについていてほしいと思うのです。(親心…)

学ぶ楽しみって、人それぞれですが、

結果、勉強であったり仕事であったり…。

誰かに認められたい

というのが根底にあると思います。私の場合、中学校までで言えば、勉強に関して、親よりも家庭教師の先生に『やればできるじゃん!』と言ってもらいたかったかな。
でも実は、誰かに認めてもらいたいではだめなのです。

自分で自分を誉めること

挫折を味わえ!!

だと私は勝手に思っています。

高校になったときには、全てではないですが、勉強が楽しくなっていました。
そんな中でも、親が知らない挫折も味わっていました。
ある教科の先生が受かると思っていてくれた資格試験に落ちてしまいました。また私自身も受かると思っていました。かなりの自信があったのですが、落ちた後、その先生に、散々、お前ホントダメだよな、勉強してるのか?などとののしられました。その挫折がなかったら、小さいことかもしれませんが、資格試験はすべて不合格になっていたことでしょう。あの一件以来、受けた資格試験はすべて一発合格。自分で自分を初めて誉めることができました。『痛みが喜びに代わる瞬間』が心に刻み込まれました。
その後の進路で悩んだときも、挫折を味わった後だったので、親の考えと自分自身の考えは違っていました。
親の引いたレールの上をずーっと走ってきた中で、親が気づいていなかった挫折。この親のそばにいたら自分の好きなことはできないと思い、それもあり自分の働いたお金で大学へ通おうと思えたことも『勉強をする』動機付けみたいになったと思います。

話はずっとそれてしまいましたが、公文は、学習というものを習慣づけて行ってくれる場所だと思っています。(それが一番!)
間違ったところを直していかないといけませんが、そこも後々にケアレスミスをなくすための一つ。また、同じ問題を何回も解くことで、できなかった場所のちっちゃな挫折感と、できた時のちっちゃな成功体験を味わうことができる。また、これだけできた!という達成感なども味わえることが公文のいいところだと思います。勉強をする動機付けも少しづつついてくると思っています。

辞め時ですが…なぜ勉強をするのか?ということがわかり始めて、学習習慣がどれだけ身についているか?が判断基準なのかな?と、こうやって記事を書きながら思いました。